フランソワーズ・ニャガンの道(療養生活編)

2016年9月、退院後1週間の自宅療養を経て職場復帰しました。骨が接着するまでには1年を要するため、365日24時間コルセット生活で養生せねばなりません。コルセットを外してもいいのは着替え時とシャワー時のみ、就寝中はもちろんコルセット着用必須です。

 

コルセットには硬質と軟質の2種類があって、どちらもオーダーメイドの医療用、数万円もする高級腰巻きです。(マイ腰で型をとるのに失神寸前だった件はこちらから→入院生活編

 

前半6ヶ月間はプラスチック樹脂製のガチンコ系、ペールオレンジ色をしていて指先で叩くとカッチコッチ音がします。後半6ヶ月間はナイロン布製のガッツリ系、白色でメッシュになっているにも関わらず分厚いせいでオールシーズン蒸れまくります。

 

仕事に復帰した当初はガチンコ硬質コルセットに腰を守られ、歩行用杖をついて歩いていました。杖があると見た目にハンディキャップがあることがわかるからでしょう、周囲の親切に助けられて不自由ながらも有難い日々を送っていました。

 

2週間ほどで杖がなくてもボチボチ歩けるようになりました。ところが杖を持たないと人とぶつかることが多くて困りました。まだゆっくりとしか歩けなかった紀猫は例えるなら80km/h制限の高速道路を法定速度で走る50cc原付のようでした。(道路交通法では原動機付自転車の高速道路進入は禁止🚫)前後左右に人々が交錯している場所でのノロノロ歩行は危険でした。

 

いつまでも杖に頼って歩いていると身体のバランスが元に戻りません。かといって人にぶつかって転んだら再起不能になってしまいそう、だからしばらくは杖を持って歩くことにしました。

 

杖をついていると紀猫の半径1メートル以内に人が入ってくることはありませんでした。「杖を持つ/持たない」ことによって明確な「目に見える/見えない」ハンディキャップが生じていました。「目に見えるハンディキャップ」で言わずもがな紀猫が不自由なニャンコだと気づいてもらえるのですね。

 

杖を持たなくなってからはコルセットを服の下に隠すのをやめて服の上に見えるようにしました。身体の動きは杖で歩くときほど鈍くはないものの、まだまだ敏捷とまではいきませんでした。

 

さて20年来の腰痛に悩まされ続けて手術を受けるまで激痛に耐えに耐え続けた日々、、、同じように腰椎分離症(すべり症)に悩んででおられる方が偶然ここに漂着されるかもしれないので、少しは役立ちそうなことを書きたいと思います。(が、参考にならなかったらごめんなさい。)

 

私が手術をなかなか受ける決心がつかなかった理由を前足指折り数えながら挙げてみます。

 

肉球1、腰痛年齢的にはまだ若い。30〜40代でもう手術するの!?まだ運動とか整体とかで改善できるかもしれないニャン?

 

肉球2、仕事が本気で忙しい。計画的に療養休暇がとれるタイミングっていつになるのかニャン?

 

肉球3、手術でどれくらい良くなるかわからない。手術をしてもあんまり変わらなかった体験談を見聞きして個人差があることが不安、必ずしも痛みがなくなるとも限らないニャン?

 

肉球4、神様が私に与えてくださった試練である。夜中に寝返りを打って腰グッキーン、喘息発作ゼコゼコ、月経血過多で敷布団にドバーッ。夜の三重苦を乗り越えなさいってことニャン?(婦人科ネタは唐突で申し訳ありません)

 

結局「もうちょっと様子をみてみよう」を重ねに重ねて限界をとっくに超えていました。自然治癒力本願でスピリチュアルな域に達するくらいセルフマイルドコントロールしていました。

 

手術を受けるかどうかは術後の経過個人差が見越せないのが博打だなと思いましたが、QOLの低下が顕著であることから執刀医が現れたタイミングで手術に賭けてみることにしました。当時41歳でした。

 

主治医によると私の症例はもっと早くに手術を受けてもよかったそうです。素人判断で痛みを先送りするよりも、信頼できる脊椎専門医さんを探すのが「お痛みよさようなら(by フランソワーズ・ニャガン)」への近道です!

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「フランソワーズ・ニャガンの道」を誰かの「様子をみましょう。」の言葉に惑わされて彷徨うことのないように。自分の痛みが本当にわかるのは自分だけ。痛みは信号です⚠信号無視は危険です⚠

腰椎分離すべり症の手術(入院生活編)

2016年8月、第5腰椎50%ズレ(腰椎分離すべり症、脊椎が骨折している状態)を金属ボルトで4ヶ所固定する「脊椎固定術」後、2週間の入院生活で寝たきり紀猫は天井とニラメッコしながら時の流れに身を任せていました。

 

連続2回の手術で心身ともにダメージを受けて放心状態だった最初の1週間は現実感に乏しく、ベッドに横になっているだけの時間は光陰矢の如しでしたが、アタマが現実に戻ってくるにつれて床に臥している状況が苦痛になってきました。意識がクリアで身体が不自由なのはかくもツライものなのか。

 

1回目の手術は人生初の全身麻酔で少しばかり興奮していました。もしも眠りから醒めなかったら?麻酔同意書にサインする前に孫の顔が見たかったにゃ。ちょっとミイル猫さん、孫、至急!と連絡したい衝動にかられました。

 

手術中にだって思いがけない何かが起こるかもしれません、、、ある日突然ノーコーソクで卒倒した経験は私にとって天変地異の悪例となっていて、さらに入院中という非日常的な条件がより一層興奮をかきたてているのでした。(前回の行動力と同様にこのような衝動的な興奮も後々振り返ると理由がありました。次の機会にまとめて書きます。)

 

1回目の手術後、麻酔から目覚めると絶叫系の痛みが右足に走りました。痛みの起点は右足股、腰の激痛がこぞって移転してきたみたいでした。五寸釘でベッドに打ちつけられているかのよう、オージーザスあまりの痛みにナースコールしました。

 

麻酔がきれたのと同時に痛み止めもきれたのかと思いきや、点滴で鎮痛剤は入っているとのこと。我慢してもらうしかないと告げられ、なんですってオーマイニャ、腰の痛みには慣れていたけどお股の痛みにはまだウブすぎて耐えられないです。

 

痛いよぅ、股がマタがミギマタがメッタマッタ痛い、マタイタイ〜逆から読んだらイタイタマ〜。ようやく回診の時刻になって主治医(執刀医)がご来診、ちょっと右足上げてみてもらえますか?って無理です上げられません。じゃあ左足はどうですか?って上がりますヒダリは。左足も痛いっちゃ痛いですけど上げることはできます。

 

「これは右足が動かなくなってるね、、、実はねぇ紀猫さん、右側のボルト1本、角度が難しかったんですよ。やっぱり角度が違いましたね、もう1回やり直しましょう。今度はすぐですから、ボルト1本1時間ですから、じゃ手術室の予約入れときます。」あ、はい(• ▽ •;)よろしくお願いします。ドクターにはすぐの1時間でも紀猫は手術前24時間の絶食からやり直しなんですニャージーザス。

 

というわけで予定外2回目の再手術が決まったところで緊急事態発生!近隣で集団殺傷事件が起こってK大学病院が負傷者の緊急搬送先になりました。フロアが突如として慌ただしくなり、事態の緊迫性がただベッドに横になっているだけの紀猫にもひしひしと伝わってきました。その夜の病棟フロアはただならぬ雰囲気で絶えずうめき声や痛みを訴える声が聞こえてきました。

 

翌朝、看護師さんから告げられたのは再手術の延期でした。「手術室スケジュールが押しているんです、(事件で)緊急手術が入って。紀猫さんの再手術は今のところ未定で、いつになるかわからないんですけど、とにかく待っててください。」あ、はい。絶食2日目でもう腹ぺこニャージーザス。意識がクリアで空腹なのはかくもヒモジイものなのか。

 

結局12時間遅れで2回目の手術を受けて再び麻酔から目覚めると右股の痛みはほぼ消えていました。アチキは腹ペコにゃんで1日半も再手術を待った甲斐がありんしたニャッホー!と窓から顔を出して手を振りたい衝動にかられるなんてブブー🙅。この時K大学病院がテレビ中継で全国生放送されていたのでした。事件により被害に遭われた方のご回復と、お亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

さて8月に入ってベッド上で少しずつ身体を起こす練習が始まりました。退院は1週間後の予定で、退院時にオーダーメイドのコルセットを着用して帰宅できるようにとウエストの型取りをすることになりました。ラップを巻いた腰周りに石膏に浸した包帯をぐるぐる巻いて固めて型を作ります。要するに腰にギプス状態、もちろんベッドに横になったままでは作業できないので身体を起こして立っていなければなりません。

 

石膏が固まるまで身体を起こし続けているのは苦行でした。壁につかまり立ちが5分で限界になると腕力で身体を支えてさらに10分、なんとか型取りが終わると同時に天を仰ぎました。ヒィー、たったの15分で8割失神。

 

こんな調子で予定通り退院できるんかいニャ?退院したらまたすぐに旅に出かける目論見もあって、自主的に病室内リハビリを開始しました。先ずはベッドから降りてみよう!元気ならヒョイとまたげるベッドの柵を倒すのに一苦労して2割失神。

 

気を取りなおして壁づたいに歩いてみよう!歩く以前に立つだけで身体のバランスがとれなくてフラフラの4割失神。次は目標3歩!ニャン、ドゥ、猫にまぐろトロニャーで6割失神。意識がクリアで身体コントロール不能なのはかくもナサケナイものなのか。

 

「何やってるんですかー紀猫さん!!」し、しまった看護師さんにコソ練がバレてしまった、、、「先生に歩行許可もらわないと、ちょっと待っててください。」あ、はーい(^^)/尻尾ふりふり待ってまーす。

 

まだかな、まだかな〜♪歩行〜の、許可は〜まだかな〜♪無、謀な、オバニャン♪(学研のオバサンをご存知ですか?)

 

めでたく許可がおりて病室に歩行器が運ばれてきました。ニャッホイ歩行器、猫に歩行器テッテレー!これは楽々スイスイ歩けるのニャ、病室内は狭くて練習にならないからフロアで公開練習することにしました。

 

自力歩行だと3歩で6割失神だったのが、歩行器の威力たるや廊下の端から端まで歩いて1割失神レベル、これはイケるんでニャイ?公式のリハビリ開始をお願いしました。

 

すぐに院内リハビリに通い始めました。1回30分のメニューをこなすのに初日は休み休み1時間近くかかって口惜涙、歩行だけでなく階段昇降ができなければ退院はできないと知ってリハビリ後には階段でコソ練しました。

 

3日を要してようやく杖をつきながらの歩行と手すりを握りながらの階段昇降ができるようになりました。オーダーメイドのコルセットも届いて退院の許可もおり、約2週間ぶりに帰宅することになりました。

 

㊗退院!!病院の建物を出ると真夏の熱風が通り過ぎていきました。いつものようには歩けない身には暑すぎる気候、それだけでなく病院を一歩出たところから一般道路は路面に凹凸があって真っ直ぐに歩くことができませんでした。点字ブロックさえもまたぐことができません。今までなんとか歩けていたのは病院内で完全フラットだったからでした。

 

病院前のロータリーからバスに乗るまでに早くも汗タラッタラ、自宅まで最寄りのバス停留所から歩く途中で太腿が痺れはじめ、最後は足を引きずりながら自宅玄関に到着しました。ウーニャ🤔どのタイミングでタクシーを呼べばよかったのかニャ?「腰痛が我慢限界に達して尿もれ猫になって嘆くより手術しよう」と決意した2016年2月から半年、かの忌々しい失禁日よりもはるかに過酷な自宅への帰還でした。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

手術直前の旅行は可能だったのに、手術直後の旅行は歩行困難で泣く泣くあきらめました😿この悲しみがいつかの喜びをきっと増大させるはずやんね?

腰痛手術の直前に暮らす風に旅したい

2016年7月、3連休明けに腰の手術を受けることが決まっていました。手術が決まってからは痛みが少しだけ緩和されました。ストレス性の腰痛もあると聞いたことがあります。紀猫の腰痛はストレス云々ではなく腰椎のズレによる神経圧迫が原因でしたが、取り替えのきかない腰への絶望感がもしかすると手術で改善されるかも?の期待に変わったことで気持ちがラクになったのだと思います。

 

どんなに激痛でも日常生活で出来ないことはありませんでした。(むしろ痛みに負けない紀猫の行動力には後々振り返ると理由がありました。また次の機会に書きます。)入院直前の3連休は旅に出かけようかにゃ?よし行くにゃー、例によってマイレージ特典フライトで那覇経由福岡便を手配しました。

 

またしてもフクフクフクフク!福、岡、だ〜い♪+沖縄!!フツフツと住んでみたい欲求が押さえらない2都市なので旅のコンセプトは「暮らす風に旅する」2泊3日、民泊利用にしました。

 

我ながらナイスなアイデアにワクワクが止まらない!アホなキラキラテンションで暮らす風に滞在する宿を探しました。那覇国際通り裏のセレブマンション、福岡は百道浜エリアのバルコニーから玄界灘を望むタワーマンション、上手いこと見つけたニャ。

 

初日、那覇には午後夕方便で到着しました。在住者の設定ならば何しましょ?フラフラと国際通りを歩いているとやっぱり観光客と化していました。ウーニャ🤔コンビニで沖縄っぽいドリンクとスナックを買ってセレブマンションに戻って何がしたいんだろう?よくわからないまま過ぎゆく那覇の夜。

 

翌朝2日目、空路✈で福岡へ。お昼にはタワーマンション高層階バルコニーから玄界灘の海を眺めていました。ウーニャ🤔福岡で1日生活体験??キラキラ企画だったわりに実際に来てみると特別キラキラな出来事が起こるわけでもなく何しよう?とりあえずスーパーに買い物でも行くかにゃー。

 

普段の生活が仕事中心であることを思い知りました。休日に家ですることは睡眠不足の解消と目的のないエンドレスだらだら、猫とイチャイチャ、なんとなく迷走した1日を終える、だいたい以上。

 

そんな体たらくを福岡までやって来てわざわざ再現する必要はないでしょう。こうなると自宅にはない玄界灘の景色を楽しむのが唯一キラキラ行為なのかも、ただひたすらにボワーッと海を眺めていました。海は広い〜な♪大き〜いな〜♪何か足りな〜い♪猫が〜いない〜♪

 

そうニャ!福岡に猫の島があるって聞いたことあるニャ!!即ググるニャ!イエス!答えはYES!相島(あいのしま)行くニャ!!

 

最終日3日目、朝イチで西鉄電車とフェリーで相島へ。ニャーフー😻紀猫大好きガチャ猫ウジャウジャ天国😻よ〜うこそ〜相島へ〜♪ガチャ〜猫〜パラ〜ダ〜イス♪ローラースケートはいて歌って踊りたくなる「パラダイス相島」なのでした。

 

紀猫デリにご来店の皆様、恐れ入ります。皆様には「  相島 猫  」を画像検索してお楽しみいただければと存じます。ニャーフー😻ご覧になられました?にゃんともガチャ猫パラダイスでしょ?最高ニャ〜😻猫の島をお散歩周遊してから夜便で空路✈羽田へ。

 

慌ただしく帰宅翌日、予定通りK大学病院に入院しました。いよいよ腰の手術、、、どうなることやら。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「腰痛手術の直前に暮らす風に旅したい」ならば、病気・ケガの無いよう行動せねばニャりませヌコ。ノーヌコ、ノーライフ😻

片耳サバイバル英会話のピリオド理由

2016年6月、紀猫が思いつきで始めた早朝英会話のルーティンが突然終了してしまいました。ネイティブスピーカーさん(以下、NSさん)と早朝英会話を始めた経緯は2015年1月、「片耳サバイバル英会話をやってみた」。開始から1年半、自分でも驚くほど英語で言いたいことが言えるようになっていた頃でした。

 

突然と言っても終了直前1か月はなんとなく会話内容が「??」になることがあって何でやねん!と思っていました。何度か軌道修正を試みたものの同じことが繰り返されました。「??」になる会話内容というのは、NSさんの副業ビジネスの営業話でした。

 

「英会話」が目的なら内容は何でもいいとはいえ、営業されるのは何故ゆえに??(・・??私のレッスンプランをネタに話すのも1年も過ぎれば1回転して退屈になりつつあったのかもしれません。NSさんの話す内容は大昔のセールス電話に似ていました。呉服や化粧品、美容器具や教材などの購買意欲を煽る類のやつです。

 

NSさんには悪いけど即座に興味がない旨を伝えました。それなのに次の日にはまた営業トークをはさんできました。興味がなければ興味がありそうな人を紹介してくれないかな?紹介ビジネス方式でやっていて、、、ということはいわゆるネットワークビジネスなのか。

 

本当に悪いけど紹介できそうな人はいないと伝えました。それなのに営業トークは止まず、もっとよく話を聞けば気が変わるよ?もう少しだけ聞いてもらえるかな?もちろん聞いてくれるよね?、、、何でやねん!!

 

報酬で成立している人間関係はギブ&テイクが基本かなと思います。社会的交換理論ですね。急に無理をお願いしたり(されたり)一時的にギブ&ギブ(テイク&テイク)になることもあるかもしれません。だけどNSさんとは一方的な貢献をしたり、されたりする関係ではありません。止めてほしいことをお願いしても聞き入れてもらえず、誰か紹介してとかもう一度話を聞いてほしいとかホンマに何でやねん!でした。

 

なんだか副業に必死なNSさん、それなりに事情があるのかも?とはいえプライベートに立ち入るつもりは全くなかったため、早朝英会話の中止を申し入れました。もう営業しないからこれまで通り続けようと言われることはなかったです。もしかすると辞めたかったのは向こうが先で自分のビジネスに利用できるのなら辞めなくてもいいと考えていたのかもしれません。

 

今回は辞めることになってしつこくされることはありませんでしたが、もし相手に不満が残れば何かとしつこくされたかもしれません。個人情報の保護にもっと配慮しておくべきだったと反省しました。ネットで繋がった会ったこともない人に電話番号を教えるのはリスクが高いのでは?と最初こそ警戒心があったものの、相手だって私に番号を通知しているんだからお互い様だと看過していました。

 

というような顚末でしたが、英会話はNOVA歴1年半でペ、ラ…ラ?だったのが、さらにこの1年半でペラ、ぺ…プ?ぐらいに進歩したのでNSさんには本当に感謝しています。毎日の継続は力なり!を改めて実感することができました。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「片耳サバイバル英会話のピリオド理由」は2つ。ひとつは社会的交換理論の崩れ、もうひとつは急激な発展のあとには急激に衰退する『アルジャーノンに花束を』法則でした。突然始まったことが突然終わるのは自然の摂理ですね。

『紀猫おばにゃんとガチャ猫』物語 黒カラス軍団 vs2代目料理長チャトラ猫チャペル

2016年5月、英語を教えるようになって3年目の春は慌しく過ぎてゴールデンウィークの時節になりました。はぁ、ぼんやりしよう、ひたすらボヤット計画しかないでしょ。もう何もしない、それって最高、のはずでした。いつもながら予定通りにいかないなあ、ぶつぶつ(村上春樹様へ敬意を込めて)。

 

間もなくゴールデンウィークが近づく直前週の週末、物凄い勢いで茶トラ猫チャペルが(猫らしく天然の瞬足シューズで)リビングに駆け込んできました。リビングは外庭に面していて、窓が開いていれば猫たちは自由に出入りできるようになっています。

 

チャペル猫は鼻息荒く、目を逆三角にして総毛立ちになっていました。どしたの?と尋ねた直後に外で(まるで世界の終わりから不吉なアジェンダを告げに来たかのような)鳥の鳴き声がしました。グガァーー!!もしや、その鳴き声は?

 

窓辺に近寄ると(漆黒100%の暗闇をたたえる井戸に100年もの歳月を生き抜いた鳥を具現化したかのような)黒いカラスが庭のフェンス柵の上からこちらに睨みをきかせていました。ちょ、ちょっと!カラス相手に何かしたの?!

 

グガァーガァーー、グガー!!(オイ、茶トラ、出てこい!と言わんばかりの)挑発的な鳴き声に、アホ茶トラも負けじと尻尾を膨らませていました。もう、やめにゃさい!阿呆チャペル猫のアタマを小突くと今度は紀猫に向かってシャー!と(猫なのに何故か)犬歯を剥き出しました。威嚇するじゃありませんチャペちゃん、ペ!!

 

私が懸命に(ぺ!ぺ!して)止めるのも聞かずに再び庭に出陣していったアホ茶トラとカラスの睨み合いが始まりました。やめときにゃさいって。窓を開けて身を乗り出す紀猫にも(猫とカラスの喧嘩に口出しすんじゃねぇ、猫ババア!と言わんばかりに)両羽をバッサバッサ広げました。威嚇するんじゃありませんクロちゃん、ぺ!

 

まったくやれやれ(村上春樹様へ敬意を込めて)。アホども、好きにやってください。喧嘩の原因が何なのか知らないけど、さすがにカラス相手はマズい気がします。職場の同僚の先輩がカラスにやられた話を思い出しました。

 

その方は朝ゴミ出しに行った時に生ゴミを漁っているカラスを追い払ったら、直後に後ろから襲われて頭を突かれそうになったそうです。幸いクチバシがかすった程度で怪我はなかったものの、10分後に家から仕事に出かけようと玄関ドアを開けると、さっき捨てたはずのゴミ袋がズタズタになって(あるいは象徴的な悪意として)中身が撒かれていたって、コワッ。

 

カラス殿を敵にまわしてはいけません!すぐさまアホ茶トラ猫チャペルに(ありったけの猫眼力を行使して)負けるが勝ちにゃんよと説教しました。かつて(工事現場で遊走を繰りひろげた挙句にショベルカーに登ろうとして滑車したところを心優しい作業員に)保護してもらった命が惜しかったらカラス殿と関わるんじゃありません!!

 

忠告するも虚しくゴールデンウィーク中もアホウ茶は売られた喧嘩を買いまくり、朝からカラス殿が呼び出す鳴き声が盛大に響きました。グガァグググァーグガ!!グァー!!

 

(今すぐ誰も食わねぇ猫ウィンナーにしてバーベキューで炭になるまで焼いてやるから出て来い!!賞味期限切れの猫ババアは引っ込んでろ!!にしか聞こえない鳴き声に)窓から外を見るとカラス殿の仲間が登場、フェンス柵には2羽のカラス殿々が。どうしましょう、目が合ってしまった、、、今更ですがアホ猫の主だと認識されているのをどうか撤回していただけないでしょうか。

 

毎日のように繰り広げられるアホ合戦にカラス殿の仲間が続々と参戦するようになりました。一匹(狼に猫の着ぐるみを着た)猫で立ち向かうアホウ茶トラ vs. 庭の上空を旋回するカラス軍、多勢に無勢なのにもかかわらずアホ猫は果敢に応戦していました。黒カラス軍団の襲来にビビる爺猫キジトラ猫と一緒に窓際で観戦する紀猫はこの戦いの目的がいまいちわからないんだけどなぁ、縄張り意識のせいなのかにゃぁ。

 

どんなに世界を敵にまわしても紀猫(継母にゃん)だけは味方ニャ(という立場がだんだん苦しくなってきた、近所迷惑になってきたけど)可愛い我が猫を守り抜こうと決意した頃、とうとう決着を見納めました。アホ猫がフェンスに駆け上った次の瞬間、フェンス柵上にいた1羽のカラス殿に猫パンチをお見舞いしました。慌てて飛び立つカラス軍団のうち、また一瞬逃げ遅れた1羽に向かってジャンプ!これはもしかして、、、

 

飛ぶ猫!!茶トラ猫チャペルが飛んだ〜!!

 

岩合さんの写真集で見たことのある美しい猫の姿でした。まさか我が猫が生飛びするとは、それを目撃するとは継母にゃんは感動ですニャ😹

 

ところで『大造じいさんとガン』のハヤブサ vs. 残雪はどんなんだっけ?懐しい物語が脳裏に浮かびました。残雪は威厳がありましたね。(アホ猫には跳躍力がありましたよ。┐(´д`)┌ヤレヤレ村上春樹様へ敬意を込めて)

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

『紀猫おばにゃんとガチャ猫』の物語後記。チャトラ柄の瞬足シューズ、あったら欲しいにゃ。うちのアホ茶トラ猫に履かせてあげたいです。俊足のはずが鈍足になって、ちょっとは大人しくなるんじゃないかな。我ながらいい考えだ、ぶつぶつ。(村上春樹様へ敬意を込めて)ムラカミィッシュ紀猫おばにゃんでした。

絵画の煌めきとダイヤモンドの燦めきを心に呼び込もう(後編)

2016年4月、溜息ばかり出る春がまたやって来ました。出会いと別れの春が苦手な理由は心がしんどくなるからです。ボ〜ク〜らの〜別れを〜誰かが〜出会いと呼〜んだ〜♪また一時的なメンタル不調ですが、、、2015年11月「絵画の煌めきとダイヤモンドの燦めきを心に呼び込もう(前編)」の頃からは復活したと思います。

 

えーとニャ、新しく出会った人に片耳が聞こえないことを伝えるのが億劫なのです。左耳が聞こえないとカミングアウトされた方だって面倒に違いありません。ちゃんと聞こえるのが右だとずっと覚えてなんかいないでしょうから話しかけるたびに、えーと右だっけ?左だっけ?いちいち確認しづらいでしょう、そんなのストレスでしょう。

 

職場では聞こえる右耳にピアスをしていました。ピアスを目印にして話かけてくださいねとお願いしていました。でも紀猫としては聞こえない左耳にこそ誇りをもちたいと考えて左耳を飾りたくなりました。

 

左耳にダイヤモンドを付けよう✨モスクワのクレムリンにあるダイヤモンド庫で見たダイヤモンドの燦めきを思い出しました。聞こえない左耳にあの輝きを纏いたいと思いました。さっそくダイヤモンドピアスをネットで品定めするもオーマイニャー🙀高価ニャ(沈)

 

クレムリンのダイヤモンド庫、四面金剛石、あっちもこっちもダイヤモンドだらけでした。その中に世界で一番大きいダイヤモンドがあったはずなのにスルーしてしまい、どれが一番大きいダイヤモンドですか?と庫内係員に尋ねて教えてもらいました。

 

こ、これ?? Is this the biggest diamond in the world??(これが世界で最大のダイヤモンド??)ニャー驚き!!何故ならピンポン玉くらいの大きさだったから。テニスボールくらいはあるんじゃないかと想像していたニャ、世界最大のくせに小さいニャ、そりゃダイヤモンドが高価なワケですニャ。

 

もう四十路なんだからダイヤモンド一粒くらいの贅沢は許して?ねぇルッパーン、峰紀寝子にダイヤモンド庫のダイヤをプレゼントしてくださらなーい?あんなに沢山あるんだもの、1個くらいもらっても平気よ?(あぃよー紀寝子ちゃーん、てルパン気質の方、もしいらっしゃいましたらお待ちしております。)

 

さて私のルッパーンを待っている間に自力でダイヤモンドを探しましょう。紀猫がダイヤを身につけていてもジルコニアかガラス玉だと思われるでしょうから、それなら最初からダイヤには見えないものにしよう、、、カラーダイヤモンドていうのがあるんですにゃ、好きな色にしよう、ニャ、ブルーダイヤモンド💎

 

色は緑青〜紺青まで青グラデーションで薄い色もあれば濃い色もありバリエーション豊富です。淡い水色を選びました。にゃふふ、小さいカラットだけど本物のダイヤモンド💎

 

ルッパーン、アタシが左耳にフェイクじゃないダイヤモンドをつけてるからって、峰紀寝子まるごとさらっちゃやーよ?

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「絵画の煌めきとダイヤモンドの燦めきを心に呼び込もう」作戦で見た目は無印、心は錦になれました、どや。

紀猫は猫アレルギーであるにもかかわらず

2016年3月、年度末恒例の多忙を極める頃、今年度最終のレッスンを迎えた日の朝から息苦しくて心臓がバクバクしていました。次は心筋梗塞やったりして?!いつもの喘息発作とは違う胸の苦しさは治まらないまま、なんとか午前中の今年度最終レッスンは無事に終えることができました。時々苦しくて言葉に詰まることがありましたが、ラストで感極まってしまった風を装って最後まで笑顔キープ😅

 

午後から頭がボーッして仕事にならなくなり早退しました。家に帰って即寝。夕方喉が渇いて水分補給をしようと起き上がったとき心臓がまたバクバクしました。キッチンに移動するだけで心臓がバックバク、これヤバイにゃ。身体も熱くなっていて計ったら38度の発熱、インフルエンザかもしれない、、、高熱になる前に病院に行こう。

 

身体を動かすと激しい動悸に襲われました。家の外に出て駐車場に向かうのに心臓が飛び出しそう。牛歩作戦で駐車場までノロノロ歩いてニャーコラショ、なんとか車に乗り込みました。ホンマどないやねん!身体中が故障だらけやんか。

 

病院の駐車場に到着してからも病院受付までの道のりが長くて牛歩戦術では気が遠のきました。喘息の発作も軽く始まって喘鳴がヒューヒュー、動悸、息切れ、めまいに。(キューシン♪救心♪)

 

ようやく受付に到着しました。息子猫の幼少時代に急病で時々かけこむことがあって勝手はよくわかっていました。ハイニャー保険証の提示ニャ、あたりで苦しくなってうずくまりました。意識が途絶えそうになりました。

 

すぐに車椅子が運ばれてきました。視界が狭くなっていてビックリ、車椅子だけが無人で動いているように見えました。誰かに脇を抱えられて近くに人がいるんだなぁとわかりました。車椅子に乗せられて処置室(その時は何処かわからなかった)に運ばれました。

 

意識朦朧としているところに、わかりますー?と声がかかったのでハイわかります、と返答すると診察が始まりました。ちょっと酸素濃度を測定しますよー?紀猫の指がパルスオキシメーター(血中酸素濃度を測定するクリップ)に挟まれました。うわ80%台ですよーもうすぐ意識なくなるレベルですよー?(90%台後半が通常値)

 

紀猫は普段から94〜95%で低めだとしても喘息発作時が90%前後、喘息だけでこんなに低いことはないです。意識はありますけどとにかく苦しいですと訴えました。医師がベット空いてるー?と看護師さんに確認、入院することになりました。えっ!いきなり入院ですか?声を出すとゴホゴホ咳が出て止まらない、心臓もバクバク、ニャー苦しいー。

 

急性アレルギー発作の症状ですねー原因不明ですけどー過労とかストレスとかー?ひと晩で発作はおさまると思いますから朝まで入院していってねーあとアレルギー検査しときますー?直ぐに結果わからないけど採血しときましょ!

 

血液でわかるんだからすごいですねぇ…紀猫は脳梗塞後の経過観察で頻繁に採血しています。検査目的に使ったあとは献血に回してもらえないかな…といつも思います。それにしても血ィどうやって廃棄してるんやろ?基本は焼却?どうでもいい疑問が浮かんだけど看護師さんに聞くのはやめておきました。ふと気になる医療廃棄物の行方…そのあと病棟に運ばれて酸素マスク着用、点滴を受けてる途中で眠りに落ちました。ふと目覚めると暗闇の中にいました。うわ、今何時?夜の11時近くになっていました。

 

うちは門限がないので何時に帰ってもOK、でも帰ってこないのはNGなので、朝まで入院なのを伝えておこうと、えーと、病院で朝まで点滴してます、送信。「了解です👌」おい、家族員たちよ、それだけかーい!て感じですが、その他は全部あとでいいよで済ませてもらえて何一つ追及されません。まったく猫は何やってんだか…で済むことに感謝。朝までゆっくり入院しよう。

 

朝は5時にバチッと目が覚めました。起き上がると心臓バクバクの息苦しさは消えてなくなっていました。帰り支度をして何事もなかったかのようにサラバニャー。駐車場で車が見つからなくて困りました。どこに駐車したんだっけ?意外と近くにあるのに通り過ぎて遠い所で探していました。あれ?牛歩の道のりはあんなに遠く感じられたのに?ケロッと蛙の道のりは近かったです。

 

家に帰るとキジトラ爺猫がノッソリやって来てカラダをスリ寄せてきました。爺さま猫のお腹に顔をうずめてスーハー(猫吸入)するのは毎朝の日課、ニャー幸せ!さぁ、今日もお仕事ニャ。

 

後日、血液検査結果で動物性蛋白・魚介類以外のすべての項目にアレルギー反応があることが判明しました。アレルギーレベル6段階の評価、犬猫アレルギーは特に要注意で猫はレベル6MAX、犬はレベル5。あとは植物アレルギーがレベル2〜3。食物アレルギーがレベル1〜2。項目を見てみるとやっぱりそうだったのか〜アレルギーじゃないかと思ってた〜と納得するものばかりでした。

 

とりわけ犬猫アレルギーは納得ニャ!以前に3日間だけ動物病院に実習に行ったときは呼吸がめっちゃ苦しかった…犬は撫でるだけで手が痒くなったし。猫はアレルギー抗体ができたけど、ミケ茶子に出会った頃は目と目が合っただけでクシャミしてました。猫なのに猫アレルギー体質だったニャー。 

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「紀猫は猫アレルギーであるにもかかわらず」それでも猫吸入は止められません。