腰椎分離すべり症の手術(入院生活編)

2016年8月、第5腰椎50%ズレ(腰椎分離すべり症、脊椎が骨折している状態)を金属ボルトで4ヶ所固定する「脊椎固定術」後、2週間の入院生活で寝たきり紀猫は天井とニラメッコしながら時の流れに身を任せていました。

 

連続2回の手術で心身ともにダメージを受けて放心状態だった最初の1週間は現実感に乏しく、ベッドに横になっているだけの時間は光陰矢の如しでしたが、アタマが現実に戻ってくるにつれて床に臥している状況が苦痛になってきました。意識がクリアで身体が不自由なのはかくもツライものなのか。

 

1回目の手術は人生初の全身麻酔で少しばかり興奮していました。もしも眠りから醒めなかったら?麻酔同意書にサインする前に孫の顔が見たかったにゃ。ちょっとミイル猫さん、孫、至急!と連絡したい衝動にかられました。

 

手術中にだって思いがけない何かが起こるかもしれません、、、ある日突然ノーコーソクで卒倒した経験は私にとって天変地異の悪例となっていて、さらに入院中という非日常的な条件がより一層興奮をかきたてているのでした。(前回の行動力と同様にこのような衝動的な興奮も後々振り返ると理由がありました。次の機会にまとめて書きます。)

 

1回目の手術後、麻酔から目覚めると絶叫系の痛みが右足に走りました。痛みの起点は右足股、腰の激痛がこぞって移転してきたみたいでした。五寸釘でベッドに打ちつけられているかのよう、オージーザスあまりの痛みにナースコールしました。

 

麻酔がきれたのと同時に痛み止めもきれたのかと思いきや、点滴で鎮痛剤は入っているとのこと。我慢してもらうしかないと告げられ、なんですってオーマイニャ、腰の痛みには慣れていたけどお股の痛みにはまだウブすぎて耐えられないです。

 

痛いよぅ、股がマタがミギマタがメッタマッタ痛い、マタイタイ〜逆から読んだらイタイタマ〜。ようやく回診の時刻になって主治医(執刀医)がご来診、ちょっと右足上げてみてもらえますか?って無理です上げられません。じゃあ左足はどうですか?って上がりますヒダリは。左足も痛いっちゃ痛いですけど上げることはできます。

 

「これは右足が動かなくなってるね、、、実はねぇ紀猫さん、右側のボルト1本、角度が難しかったんですよ。やっぱり角度が違いましたね、もう1回やり直しましょう。今度はすぐですから、ボルト1本1時間ですから、じゃ手術室の予約入れときます。」あ、はい(• ▽ •;)よろしくお願いします。ドクターにはすぐの1時間でも紀猫は手術前24時間の絶食からやり直しなんですニャージーザス。

 

というわけで予定外2回目の再手術が決まったところで緊急事態発生!近隣で集団殺傷事件が起こってK大学病院が負傷者の緊急搬送先になりました。フロアが突如として慌ただしくなり、事態の緊迫性がただベッドに横になっているだけの紀猫にもひしひしと伝わってきました。その夜の病棟フロアはただならぬ雰囲気で絶えずうめき声や痛みを訴える声が聞こえてきました。

 

翌朝、看護師さんから告げられたのは再手術の延期でした。「手術室スケジュールが押しているんです、(事件で)緊急手術が入って。紀猫さんの再手術は今のところ未定で、いつになるかわからないんですけど、とにかく待っててください。」あ、はい。絶食2日目でもう腹ぺこニャージーザス。意識がクリアで空腹なのはかくもヒモジイものなのか。

 

結局12時間遅れで2回目の手術を受けて再び麻酔から目覚めると右股の痛みはほぼ消えていました。アチキは腹ペコにゃんで1日半も再手術を待った甲斐がありんしたニャッホー!と窓から顔を出して手を振りたい衝動にかられるなんてブブー🙅。この時K大学病院がテレビ中継で全国生放送されていたのでした。事件により被害に遭われた方のご回復と、お亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

さて8月に入ってベッド上で少しずつ身体を起こす練習が始まりました。退院は1週間後の予定で、退院時にオーダーメイドのコルセットを着用して帰宅できるようにとウエストの型取りをすることになりました。ラップを巻いた腰周りに石膏に浸した包帯をぐるぐる巻いて固めて型を作ります。要するに腰にギプス状態、もちろんベッドに横になったままでは作業できないので身体を起こして立っていなければなりません。

 

石膏が固まるまで身体を起こし続けているのは苦行でした。壁につかまり立ちが5分で限界になると腕力で身体を支えてさらに10分、なんとか型取りが終わると同時に天を仰ぎました。ヒィー、たったの15分で8割失神。

 

こんな調子で予定通り退院できるんかいニャ?退院したらまたすぐに旅に出かける目論見もあって、自主的に病室内リハビリを開始しました。先ずはベッドから降りてみよう!元気ならヒョイとまたげるベッドの柵を倒すのに一苦労して2割失神。

 

気を取りなおして壁づたいに歩いてみよう!歩く以前に立つだけで身体のバランスがとれなくてフラフラの4割失神。次は目標3歩!ニャン、ドゥ、猫にまぐろトロニャーで6割失神。意識がクリアで身体コントロール不能なのはかくもナサケナイものなのか。

 

「何やってるんですかー紀猫さん!!」し、しまった看護師さんにコソ練がバレてしまった、、、「先生に歩行許可もらわないと、ちょっと待っててください。」あ、はーい(^^)/尻尾ふりふり待ってまーす。

 

まだかな、まだかな〜♪歩行〜の、許可は〜まだかな〜♪無、謀な、オバニャン♪(学研のオバサンをご存知ですか?)

 

めでたく許可がおりて病室に歩行器が運ばれてきました。ニャッホイ歩行器、猫に歩行器テッテレー!これは楽々スイスイ歩けるのニャ、病室内は狭くて練習にならないからフロアで公開練習することにしました。

 

自力歩行だと3歩で6割失神だったのが、歩行器の威力たるや廊下の端から端まで歩いて1割失神レベル、これはイケるんでニャイ?公式のリハビリ開始をお願いしました。

 

すぐに院内リハビリに通い始めました。1回30分のメニューをこなすのに初日は休み休み1時間近くかかって口惜涙、歩行だけでなく階段昇降ができなければ退院はできないと知ってリハビリ後には階段でコソ練しました。

 

3日を要してようやく杖をつきながらの歩行と手すりを握りながらの階段昇降ができるようになりました。オーダーメイドのコルセットも届いて退院の許可もおり、約2週間ぶりに帰宅することになりました。

 

㊗退院!!病院の建物を出ると真夏の熱風が通り過ぎていきました。いつものようには歩けない身には暑すぎる気候、それだけでなく病院を一歩出たところから一般道路は路面に凹凸があって真っ直ぐに歩くことができませんでした。点字ブロックさえもまたぐことができません。今までなんとか歩けていたのは病院内で完全フラットだったからでした。

 

病院前のロータリーからバスに乗るまでに早くも汗タラッタラ、自宅まで最寄りのバス停留所から歩く途中で太腿が痺れはじめ、最後は足を引きずりながら自宅玄関に到着しました。ウーニャ🤔どのタイミングでタクシーを呼べばよかったのかニャ?「腰痛が我慢限界に達して尿もれ猫になって嘆くより手術しよう」と決意した2016年2月から半年、かの忌々しい失禁日よりもはるかに過酷な自宅への帰還でした。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

手術直前の旅行は可能だったのに、手術直後の旅行は歩行困難で泣く泣くあきらめました😿この悲しみがいつかの喜びをきっと増大させるはずやんね?