フランソワーズ・ニャガンの道(療養生活編)

2016年9月、退院後1週間の自宅療養を経て職場復帰しました。骨が接着するまでには1年を要するため、365日24時間コルセット生活で養生せねばなりません。コルセットを外してもいいのは着替え時とシャワー時のみ、就寝中はもちろんコルセット着用必須です。

 

コルセットには硬質と軟質の2種類があって、どちらもオーダーメイドの医療用、数万円もする高級腰巻きです。(マイ腰で型をとるのに失神寸前だった件はこちらから→入院生活編

 

前半6ヶ月間はプラスチック樹脂製のガチンコ系、ペールオレンジ色をしていて指先で叩くとカッチコッチ音がします。後半6ヶ月間はナイロン布製のガッツリ系、白色でメッシュになっているにも関わらず分厚いせいでオールシーズン蒸れまくります。

 

仕事に復帰した当初はガチンコ硬質コルセットに腰を守られ、歩行用杖をついて歩いていました。杖があると見た目にハンディキャップがあることがわかるからでしょう、周囲の親切に助けられて不自由ながらも有難い日々を送っていました。

 

2週間ほどで杖がなくてもボチボチ歩けるようになりました。ところが杖を持たないと人とぶつかることが多くて困りました。まだゆっくりとしか歩けなかった紀猫は例えるなら80km/h制限の高速道路を法定速度で走る50cc原付のようでした。(道路交通法では原動機付自転車の高速道路進入は禁止🚫)前後左右に人々が交錯している場所でのノロノロ歩行は危険でした。

 

いつまでも杖に頼って歩いていると身体のバランスが元に戻りません。かといって人にぶつかって転んだら再起不能になってしまいそう、だからしばらくは杖を持って歩くことにしました。

 

杖をついていると紀猫の半径1メートル以内に人が入ってくることはありませんでした。「杖を持つ/持たない」ことによって明確な「目に見える/見えない」ハンディキャップが生じていました。「目に見えるハンディキャップ」で言わずもがな紀猫が不自由なニャンコだと気づいてもらえるのですね。

 

杖を持たなくなってからはコルセットを服の下に隠すのをやめて服の上に見えるようにしました。身体の動きは杖で歩くときほど鈍くはないものの、まだまだ敏捷とまではいきませんでした。

 

さて20年来の腰痛に悩まされ続けて手術を受けるまで激痛に耐えに耐え続けた日々、、、同じように腰椎分離症(すべり症)に悩んででおられる方が偶然ここに漂着されるかもしれないので、少しは役立ちそうなことを書きたいと思います。(が、参考にならなかったらごめんなさい。)

 

私が手術をなかなか受ける決心がつかなかった理由を前足指折り数えながら挙げてみます。

 

肉球1、腰痛年齢的にはまだ若い。30〜40代でもう手術するの!?まだ運動とか整体とかで改善できるかもしれないニャン?

 

肉球2、仕事が本気で忙しい。計画的に療養休暇がとれるタイミングっていつになるのかニャン?

 

肉球3、手術でどれくらい良くなるかわからない。手術をしてもあんまり変わらなかった体験談を見聞きして個人差があることが不安、必ずしも痛みがなくなるとも限らないニャン?

 

肉球4、神様が私に与えてくださった試練である。夜中に寝返りを打って腰グッキーン、喘息発作ゼコゼコ、月経血過多で敷布団にドバーッ。夜の三重苦を乗り越えなさいってことニャン?(婦人科ネタは唐突で申し訳ありません)

 

結局「もうちょっと様子をみてみよう」を重ねに重ねて限界をとっくに超えていました。自然治癒力本願でスピリチュアルな域に達するくらいセルフマイルドコントロールしていました。

 

手術を受けるかどうかは術後の経過個人差が見越せないのが博打だなと思いましたが、QOLの低下が顕著であることから執刀医が現れたタイミングで手術に賭けてみることにしました。当時41歳でした。

 

主治医によると私の症例はもっと早くに手術を受けてもよかったそうです。素人判断で痛みを先送りするよりも、信頼できる脊椎専門医さんを探すのが「お痛みよさようなら(by フランソワーズ・ニャガン)」への近道です!

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「フランソワーズ・ニャガンの道」を誰かの「様子をみましょう。」の言葉に惑わされて彷徨うことのないように。自分の痛みが本当にわかるのは自分だけ。痛みは信号です⚠信号無視は危険です⚠