永遠に美しいモスクワが脳内で無限再生されている

2015年9月、モスクワの旅を思い出してはニタニタして上機嫌、恒例のアウトドア行事をやり過ごせばハッピーな誕生月になるはずでした。

 

それなのに!思いもがけない事件が身の回りに起こってメンタル不調になりました。ここでは詳しく書けませんが年間2万人いるらしいです。うち若年層は600人。脳卒中発症者が年間30万人、若年性が1割らしいので、私の身に起こった事件より50倍はレアなことが起こったわけです。

 

気分がドーンと沈み込み気分転換しようにも何をすれば気分が晴れるのかわかりませんでした。とにかく日常をやり繰りするのが精一杯。少しでも気を緩めると涙が頬をつたうオバニャンは鬱ニャー。

 

月〜金は通常業務で気丈に振る舞い、週末はベッドに倒れ込みました。瞑想アプリをインストールしまくってメディテーションジプシーしました。間違いなく鬱やで紀猫オバニャンは。どんどん老け込むニャー。

 

癒しのヒーリングサウンドに身を委ね、現実逃避するために自分がモスクワにいたことを想起しました。場所は赤の広場。目前にワシリイ大聖堂、左手にグム百貨店、右手に歴史博物館、背後にクレムリン。それからレーニン廟。

 

レーニン廟にて。エンバーミングされたレーニンはただ眠っているようにしか見えませんでした。死後の姿が永久保存されるなんて。直感的に自分は現代のミイラにはなりたくないと思いました。たとえ政治的権力や思想信条に無縁でなかったとしても。いわんや生への執着をや。

 

生への執着について考えたのはいつだったか、映画『永遠に美しく』を観たときです。永遠の命を授けられたら?要らんな永遠は。生命には限りがあると知っているからこそ美しく生きられるんやわという結論はやはり変わらず。

 

場所は変わって私の脳内で行き交う人の波、押し寄せては流れる人の脈、今自分がいるのはモスクワ地下鉄の駅構内。やたらめったらに高速なエスカレーターは人々を深く深く地下へ、そしてプラットホームへ、次々とやってくる地下鉄に送り込みます。50秒毎に1本やって来る地下鉄おかしいやろ。運行間隔に安全性が欠如してるやん。ヒトが多すぎるねんて、どっからこんなに湧いてくるんやろう。

 

ヒトの誕生について考えたのはいつだったか、分娩台の上でヒーヒーフーしていたときです。生命の誕生が他人事ではなくなったと同時に、こうやってヒトは湧いてくるんだと知りました。湧いて、群れて、群れては湧いて。

 

さらに思い浮かべるのはロシア連邦道路、国道らしき道を歩くKパンと私。行き先はモスクワ郊外のセルギエフ・パッサードにあるセルギエフ大修道院。最寄り駅の1つ手前の駅で下車してしまったらしく、あれー?方向は合ってるはずやねんけどなー?と歩くこと約30分、ようやく遠く遠くに建物が見えました。あった!!

 

そこからさらに歩くこと約1時間。遥か遠くに小さく見えていた金色タマネギが間近に大きくなって見えてきました。やっと着いたでー!!8月なのに晩秋の風が吹くモスクワ郊外で、ひたすら歩いて目的地に到着した私たち、こんなん旅しとったらよーあることやん?と達人の風を吹かせました。こんなに1駅区間の距離が長いんは初めてやけどな、さすがモスクワ、広すぎるねんて。おかげで靴の裏底がベローンと剥がれたわ。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「永遠に美しいモスクワが脳内で無限再生されている」のを上映して公開できたらいいのに。紀猫の両目から光線が出てきてスクリーンに投影される感じで。Kパンと旅したモスクワは私のなかで永遠に美しいです。