毎日映画を見る習慣が途絶えてしまった

2014年12月、脳梗塞で入院したのをきっかけに映画鑑賞から遠ざかっていました。見なくなってから半年以上が経過していました。

 

病気になる前の10年間は2〜3日かけて1本ペースで毎日映画を見ていました。習慣化していたために映画が見たい!という気持ちは強く、それなのに見られないのは複視(二重視)のせいでした。

 

焦点が合うようになってからも左耳が聞こえないせいで心理的拒否が起きました。もともと聴覚過敏気味で生活音にさえ敏感な耳だったのに、左耳は絶えず雑音があって、かつてのようにバランスよく音が聞こえてこないことに対する違和感や音の聞こえの変化が苦痛でした。映画を見ることは、何より苦労して身につけた英語リスニング力の低下を認めることになりショックでした。

 

片目を閉じると遠近感がうまくつかめなくなるのと同様に、片耳で聞こえる音は薄っぺらく平べったくなりました。ラジオのFM放送がAM放送に聞こえてしまうような感じだと説明すると、FMとAMの音の違いって?よーわからん!という反応に驚きました。音質なんて別にどーでもええやん?て新世界です。

 

では音質はどーでもいいとして、会話が半分聞き取れないストレスは理解してもらえますか?私は左側の音が聞こえないので…

 

ケース1。自分の対面に2人いて、その2人との位置が逆三角形になっているとき、向かって左側の人の発言がよく聞こえません。右側の人がよく喋る人だとそれを頼りに会話の内容を推測します。ところが左側の人が会話の主導権を握りっぱなしで右側の人はただ頷くだけになると、何の会話をしているのかさっぱりわかりません。

 

ケース2。中華料理店にて円卓を囲む8人のうちの1人が自分。聞こえるのは自分の右隣の人ともう一人向こうの人(右隣のさらに右隣の人)の声で、自分の対面4人の声はほぼ聞こえません。左隣の人とは食事をしながらもなるべく身体をひねって聞こえる右耳を相手に向けないと、会話の内容がよく聞き取れません。聞き逃した言葉を何回も聞き返すのは躊躇します。

 

ソリューション1。逆三角形を崩します。相手2人が自分より右側にくるように自分の位置を変えます。

 

ソリューション2。円卓を囲む食事会は基本パスします。「中華は油っぽくてぇ」なんて女子ぶった言い訳はしません。ただし「片耳が聞こえないから円卓は苦手で」と正直に伝えるかどうかは悩みます。

 

聞こえないのを努力しても聞こえるようにはなりません。障碍は本人の意思に関わらず「できないものはできない」です。先天的・後天的に関わらず、本人が「できないこと」をどのぐらい認知しているか、また自分でどのくらいフォローできるかによって周囲に及ぶ影響が異なります。

 

出来ないんだから仕方ないでしょと開き直るつもりはありません。でも周囲には寛容になっていただくのを求めざるをえない時もあります。それでも寛容になってはもらえないことがあるとしたら、本人がそもそもをわかっていない時に周囲がフォロー負担を強いられる状況にあるのかもしれません。

 

そもそもをわかっていない起因は認知欠如で、それもまた障碍である可能性もあります。社会としては互助精神で助け合う優しさを、個人レベルとしては他人のために時間を割ける余裕をもてるといいなと思います。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「毎日映画を見る習慣が途絶えてしまった」けれど、習慣なんて単に「する」か「しない」か意思の問題です。一方で障碍は意思でどうにかなるものではありません。ご理解とご協力をよろしくお願いします。