若きミィーテル17歳の悩み

2017年1月、修学旅行から戻った猫316号が浮かない顔をしていました。どないしたん?1週間ぶりの沖縄どうやったん?家族連れより友だちと一緒の方が楽しかったやろう?

 

猫316号:フツーに楽しかったけどね。特別感はなかったね相変わらず、別に行ったばっかりのまた沖縄やからとはちゃう理由で。可もなく不可もなく過不足なく、むしろ恵まれてるくらいかもしれへんけど、全くワクワクせえへんていうか。

 

何やそれ?平和ボケみたいな?ワクワクしたいんやったら彼女でも作ったら?(ついでに孫もそろそろ。)

 

猫316号:彼女は要らんわ面倒くさいだけやし。ワシもう受験生やし。それよりセンター試験まであと1年もたへんわ。

 

もたへん?何がもたへんの?

 

猫316号:勉強。死ぬほど嫌、受験はいいとしても勉強が嫌でたまらん。ノーベンで行ける大学でとか思ってまう。もう勉強やめたろか思ってる実は。

 

この春から高3になるタイミングで?ふーん。勉強やめて他にやりたいことあんの?

 

猫316号:いや、無い。今はやりたいことよりもやりたくないことが先にきてる。受験勉強も特別感ないし、単なる嫌でしゃーない勉強、する気なんか全く起きへん。

 

将来的な方向性があったら、そのために必要な受験勉強になるんとちゃう?嫌なもんは嫌やけど妥協するか受け容れるかして。

 

猫316号:せやね。将来のこと考えてないわけちゃうけど、考えても無いもんは無い。なりたい職業てのが無いねん。関わりたい分野やったら音楽好きやけど?料理得意やけど?あと心理学にちょっとだけ興味あるけど?うん、それだけやね。

 

!!(アンタ、私にソックリやん…)

職業とかじゃなくても、こういうことをする人になりたいとかは?さすがに何かしらあるんとちゃうの?

 

猫316号:せやねえ、人を笑顔にしたいなって思うかな。

 

!!!(そら迷走するわな…)

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「若きミィーテル17歳の悩み」は世代交代しただけ?乙女座の宿命?将来そのものがフワフワのロマンチック構築。そういや紀猫もオアシスになりたいとか言うてた爆ワラワラ草。

 

 

 

 

 

羽田✈岩国→下関→門司→小倉→福岡✈那覇✈羽田の暴飲暴食旅

2016年12月、ラスト家族旅行に出かけました。旅で家族が揃うのはとりあえずこれで最後だったかも?になるとは思っていませんでしたが。

 

名古屋の母上様&Eちゃんと一緒にいただいたワイン🍷(→生まれ変わった名古屋で酔っぱらい腰コルセット付)がドエリャー美味しかったもんで美酒が人間関係の親密度に依ることを再確認したじゃんね。

 

悪酒(特に仕事上の付き合い酒)は断酒離することにしました。昔ながらの飲みニケーションを否定するわけではないのですが。仕事酒が時として良きに働くことがあるものの、飲まないからといって決して職場の人間関係が悪くなるわけでもないのです。

 

仕事酒はたいていが予算都合の飲み放題で美味しくなくても酔っパラッツォ、安酒なら美味しくなくてもこんなモンブラン、、、寒すぎるオヤジ酒全開どないよ?よくよく考えるとアルコール不要説が浮上したのでした。

 

調べてみるとSober Curious(ソーバーキュリアス)なる言葉を見つけました。ニャルホド🧐断酒離族は既に存在していたのですニャ。紀猫も新規参入しようかと、その前に長年ずっと気になっていた酒蔵に行ってからにするニャ。

 

ラスト酒に選んだ日本酒『獺祭』を求めて旭酒造(山口県)に蔵見学を申し込みました。見学時間に合わせてマイレージ特典フライト✈とレンタカーを手配しました。

 

旭酒造へは公共機関でのアクセスが難しくタクシーまたは車の運転が必要なため、旅のルートを考慮してレンタカーにしました。ドライバーになると飲酒できないのですが。

 

旭酒造の所在地は深緑あふれる山里のなか、空気も水も美味しい場所だからこそ銘酒『獺祭』が生まれるのでしょう。見学後にいただいたノンアルコール獺祭甘酒ウミャーイ。

 

売店で各種獺祭のラインナップに囲まれてニャニャーこんなにあるのニャ、飲み比べをしようニャと大人買いしてカバンに詰め込みました。なんだか禁断の獺祭酒を密輸してる気分ニャニャーン。

 

岩国空港錦帯橋→旭酒造→下関ルートでお気楽にドライブしたあと下関駅前でレンタカーを返却しました。待ってましたァ獺祭解禁ニャァ!!

 

下関でフグを食べて対岸の門司(福岡県)に渡って夜通し獺祭フェスしてパッパラパ〜🎵酔っぱらっぱのままレトロ門司を散策して、えーとニャ、それから、、、その後の記憶が酩酊していて詳細不明なのですが。

 

北九州・小倉に移動してえーと何したっけニャ?止まらない酔っぱらっぱラリパッパ〜🎵お鮨を食べて金券ショップで福岡行の格安切符を入手して次は福岡に移動しました。

 

それからえーとニャ、、、まだまだ続くラリパ〜ラリッパ〜🎵福岡でもつ鍋を食べて✈那覇へ。恩納村のエメラルドの海を眺めながらボチボチ酔いを醒まして✈羽田へ。

 

紀猫は獺祭フェスから暴飲暴食フェスに発展した今回の旅のあとに断酒離しました。そして家族旅員から引退したミイル猫の家族旅行ラストの一言は、、、

 

「来週また修学旅行、沖縄ですわ。」

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

今回の「暴飲暴食旅」は、旅の定番イキアタリバッ旅(行き当たりばったりな旅行)の極みというかナレハテ。もうアッチコッチ行ったしなぁ、もうそんなに旅行せんでええんとちゃうの、と言いながらのグデグデ愚旅。

痛みに負けない紀猫の行動力の理由(日常生活編)

2016年11月、腰の痛みから解放されるのと同時に失ったもの、それはニャンと多幸感でした。

 

トゥエンティーフォーセブンの激痛に活動を制限されてなるものかと抗い続けることで達成感を得ていました。どんなに腰が痛くても何でも出来るニャン、骨折の痛みがあっても笑顔ニャン、痛みなんか気にしないニャン、とにかく幸せたっぷりニャン。以上、ノープロブレム。

 

いやいや紀猫さん、大問題ですニャン!背骨が折れてますやん。あまりの痛みに脳ミソが狂っていたのでしょう。ネットで調べてわかったことは、どうやら当時の激痛イカレ紀猫には「エンドルフィン」なるものが分泌されていたと思われます。

 

エンドルフィンは「モルヒネ同様の作用を示す」「多幸感をもたらす」神経伝達物質だとウィキ様が教えてくださいました。いつもありがとうございます(ㆁωㆁ)なるほど、紀猫が痛みぃ越え〜♪したのは多分に脳内麻薬の力添えがあったからなのです。紀猫の脳内に、ま、ま、麻薬が!?

 

えらいこっちゃー(´⊙ω⊙`)!

ドラッグに身も心もドップリー効果でピーポーピーポーピーポー⤵️ドップラー効果で非常事態だったわけですね。かの有名な通称キングオブドラッグは全身の細胞1つひとつにエクスタシーをもたらした後、全身に風が吹いても痛むくらいの超激痛を引き起こすそうです。

 

めーーー…めーーー…めめめっちゃ気持ちよくなれる代償としての痛み、どんだけ痛いんやろ?紀猫はその類の痛みを局地的に腰に経験していたのかニャ?順番は逆行して痛みが先で後からエクスタシーだった??ウーニャ🤔エクスタシーかというといわゆる快感とはちょっと違うかニャ?

 

痛みが日常的に当たり前になって継続していたので、ずっとフワフワした感覚が絶えることなくボンヤリとした根拠のない幸福感を生み出していました。例えるなら「アチキ、幸せすぎて、コワイでやんす💖」的な恋愛真っ只中のような心地に近かったです。

 

多幸感の他には「アチキ、たった今、今すぐ旦那殿に会いたいんでやんす💖」的な衝動性も多々ありました。この類の衝動的な興奮も脳内麻薬の仕業に違いありません。ところで恋愛も麻薬ですよね?

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「痛みに負けない紀猫の行動力の理由」は『達成感』ただそれだけ。痛みと共存していた多幸感は痛みとともに去りぬ。明日は明日の風が吹く

生まれ変わった名古屋で酔っぱらい腰コルセット付(リハビリ編)

2016年10月、3連休に名古屋でプチ同窓会が開催されました。発起人はKパン、集まったのは名古屋に引越してきてしばらくになるFさんと紀猫の3人。FさんはKパンと親しい友人で紀猫とは卒業以来20年ぶりの再会となりました。人の出会いは一期一会だけれども、人との再会は予定調和なのではないかと思います。

 

かつて同じ場所にいた当時は20年後に名古屋で再会できるなんて考え及ばなかったです。人生シナリオは先読み出来そうで出来なくて、人生に何が起きるかは何かが起こるまでのお楽しみニャとも思います。

 

激務明けから直行で名古屋入りした紀猫は疲れを通り越して覚醒していました。2013年GW「名古屋いったがや」以来の名古屋はJR名古屋駅改修工事が済んでピッカピカ明るい雰囲気に生まれ変わっていました。20年前のGoogle翻訳ならこう言うでしょう、新しくなった名古屋が紀猫を興奮させて眠らせることを不可能にして、もはや腰コルセットは関係しません、と。

 

カトパン名駅(めいえき、地元民の呼称で名古屋駅)で落ち合った直後、名古屋モーニングを食べに駅近の喫茶店に向かいました。駅周辺施設も大きく変わって新しい商業ビルが立ち並んでいました。名古屋って全然こんなじゃなかったじゃんね?(せやせや、JR大阪駅も昔と全然ちゃうねんでぇ。)

 

名古屋といえば小倉トーストモーニングコーヒーと一緒に美味しくいただきました。せやせや、ご飯に小豆が「お赤飯」なら、パンに小豆は「お赤パン」と呼べばおめでたいニャ?

 

Fさんと合流して名古屋ランチ後、宿泊先ホテルに移動して話していたらいつの間にやら寝落ちしてしまい、不本意ながら目覚めたら朝になっていました。あれ?話の途中だったのに?Fさーん…帰ってしまったらしい…じゃんね?

 

ホテルで朝食中、声がかすれてノドの調子が良くないKパン、乾咳してるよ?あれ?どうしたん?喋りすぎたん?それともホテル内の空気が乾燥してる…じゃんね?

 

一泊してカトパンは関西方面へ、紀猫は関東方面へ帰宅、、、の前にそれぞれ名古屋の知人に会ってから帰る予定になっていました。Kパン、ノドお大事に…じゃまたSeeU,,(。•̀ᴗ-)✧

 

Kパンと別れて名古屋の母上様とEちゃんが待っているコージーなイタリアンレストランへ向かいました。名古屋にそもそも御縁があったのはひとえにM家の皆様が紀猫を呼んでくださったから?

 

義理の姪っ子ちーちゃんの成長ぶりを楽しみにしていたのですが、残念ながら体調不良でリモート参加になりました。どんどん大きくなるちーちゃん、また直ぐに会いに来るから待っててね(◠‿◕)

 

母上様とEちゃんとワインのボトルを空けてかなりいい気分になりました。こんなに美味しくお酒を飲んだのっていつ以来?脳梗塞を患ってから1年間の断酒明けの快気祝いドンペリ以来!

 

夕方2人と別れて新幹線口に向かう途中、酔っぱらい紀猫は突如として赤い電車に乗りたくなりました。えーと、赤いやつ、何鉄だっけ?えーと、、、ニャ?

 

案内標識に赤いラインと矢印があるニャン、改札ミッケ、PASMOピッ♪したのは地下鉄桜通線でした。あれ?酔っぱらっぱでパープーになってる。地下鉄の赤いのじゃなくて電車赤いの、せやせや名鉄やん!

 

桜通線から鶴舞線に乗り換えると名鉄に乗り入れていることがわかり、せっかくなのでこのまま地下鉄に乗ることにしました。終点から豊橋方面へ。

 

途中、AE大学最寄り駅でホームに下車しました。ニャー!すっかり忘れていた風景が広がっていました。ここは全然変わってないだらー(2020年現在改修中)

 

酔いもさめて小腹がすいていた紀猫は駅構内で「あんまき」を買いました。せやせや、ずっと気になっていたのに一度も買ったことなかったやん。初めての「あんまき」あんチーズ味。学生時代だったら駅改札を出てすぐMバーガーだったじゃんね?

 

ようやく豊橋に到着、名古屋から新幹線に乗っていれば帰宅していたはずの頃になっていました。豊橋からは新幹線でピューンと🚅こういう寄り道しても腰が痛くならないって幸せです。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「生まれ変わった名古屋で酔っぱらい腰コルセット付」の紀猫は回復の兆しを感じる一方で、Kパンがこのあと1年間マスク着用生活に。まさかあの乾咳がそんなに長引くなんて…人生に起こることが楽しいことばかりとは限りません。

 

 

 

 

フランソワーズ・ニャガンの道(療養生活編)

2016年9月、退院後1週間の自宅療養を経て職場復帰しました。骨が接着するまでには1年を要するため、365日24時間コルセット生活で養生せねばなりません。コルセットを外してもいいのは着替え時とシャワー時のみ、就寝中はもちろんコルセット着用必須です。

 

コルセットには硬質と軟質の2種類があって、どちらもオーダーメイドの医療用、数万円もする高級腰巻きです。(マイ腰で型をとるのに失神寸前だった件はこちらから→入院生活編

 

前半6ヶ月間はプラスチック樹脂製のガチンコ系、ペールオレンジ色をしていて指先で叩くとカッチコッチ音がします。後半6ヶ月間はナイロン布製のガッツリ系、白色でメッシュになっているにも関わらず分厚いせいでオールシーズン蒸れまくります。

 

仕事に復帰した当初はガチンコ硬質コルセットに腰を守られ、歩行用杖をついて歩いていました。杖があると見た目にハンディキャップがあることがわかるからでしょう、周囲の親切に助けられて不自由ながらも有難い日々を送っていました。

 

2週間ほどで杖がなくてもボチボチ歩けるようになりました。ところが杖を持たないと人とぶつかることが多くて困りました。まだゆっくりとしか歩けなかった紀猫は例えるなら80km/h制限の高速道路を法定速度で走る50cc原付のようでした。(道路交通法では原動機付自転車の高速道路進入は禁止🚫)前後左右に人々が交錯している場所でのノロノロ歩行は危険でした。

 

いつまでも杖に頼って歩いていると身体のバランスが元に戻りません。かといって人にぶつかって転んだら再起不能になってしまいそう、だからしばらくは杖を持って歩くことにしました。

 

杖をついていると紀猫の半径1メートル以内に人が入ってくることはありませんでした。「杖を持つ/持たない」ことによって明確な「目に見える/見えない」ハンディキャップが生じていました。「目に見えるハンディキャップ」で言わずもがな紀猫が不自由なニャンコだと気づいてもらえるのですね。

 

杖を持たなくなってからはコルセットを服の下に隠すのをやめて服の上に見えるようにしました。身体の動きは杖で歩くときほど鈍くはないものの、まだまだ敏捷とまではいきませんでした。

 

さて20年来の腰痛に悩まされ続けて手術を受けるまで激痛に耐えに耐え続けた日々、、、同じように腰椎分離症(すべり症)に悩んででおられる方が偶然ここに漂着されるかもしれないので、少しは役立ちそうなことを書きたいと思います。(が、参考にならなかったらごめんなさい。)

 

私が手術をなかなか受ける決心がつかなかった理由を前足指折り数えながら挙げてみます。

 

肉球1、腰痛年齢的にはまだ若い。30〜40代でもう手術するの!?まだ運動とか整体とかで改善できるかもしれないニャン?

 

肉球2、仕事が本気で忙しい。計画的に療養休暇がとれるタイミングっていつになるのかニャン?

 

肉球3、手術でどれくらい良くなるかわからない。手術をしてもあんまり変わらなかった体験談を見聞きして個人差があることが不安、必ずしも痛みがなくなるとも限らないニャン?

 

肉球4、神様が私に与えてくださった試練である。夜中に寝返りを打って腰グッキーン、喘息発作ゼコゼコ、月経血過多で敷布団にドバーッ。夜の三重苦を乗り越えなさいってことニャン?(婦人科ネタは唐突で申し訳ありません)

 

結局「もうちょっと様子をみてみよう」を重ねに重ねて限界をとっくに超えていました。自然治癒力本願でスピリチュアルな域に達するくらいセルフマイルドコントロールしていました。

 

手術を受けるかどうかは術後の経過個人差が見越せないのが博打だなと思いましたが、QOLの低下が顕著であることから執刀医が現れたタイミングで手術に賭けてみることにしました。当時41歳でした。

 

主治医によると私の症例はもっと早くに手術を受けてもよかったそうです。素人判断で痛みを先送りするよりも、信頼できる脊椎専門医さんを探すのが「お痛みよさようなら(by フランソワーズ・ニャガン)」への近道です!

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「フランソワーズ・ニャガンの道」を誰かの「様子をみましょう。」の言葉に惑わされて彷徨うことのないように。自分の痛みが本当にわかるのは自分だけ。痛みは信号です⚠信号無視は危険です⚠

腰椎分離すべり症の手術(入院生活編)

2016年8月、第5腰椎50%ズレ(腰椎分離すべり症、脊椎が骨折している状態)を金属ボルトで4ヶ所固定する「脊椎固定術」後、2週間の入院生活で寝たきり紀猫は天井とニラメッコしながら時の流れに身を任せていました。

 

連続2回の手術で心身ともにダメージを受けて放心状態だった最初の1週間は現実感に乏しく、ベッドに横になっているだけの時間は光陰矢の如しでしたが、アタマが現実に戻ってくるにつれて床に臥している状況が苦痛になってきました。意識がクリアで身体が不自由なのはかくもツライものなのか。

 

1回目の手術は人生初の全身麻酔で少しばかり興奮していました。もしも眠りから醒めなかったら?麻酔同意書にサインする前に孫の顔が見たかったにゃ。ちょっとミイル猫さん、孫、至急!と連絡したい衝動にかられました。

 

手術中にだって思いがけない何かが起こるかもしれません、、、ある日突然ノーコーソクで卒倒した経験は私にとって天変地異の悪例となっていて、さらに入院中という非日常的な条件がより一層興奮をかきたてているのでした。(前回の行動力と同様にこのような衝動的な興奮も後々振り返ると理由がありました。次の機会にまとめて書きます。)

 

1回目の手術後、麻酔から目覚めると絶叫系の痛みが右足に走りました。痛みの起点は右足股、腰の激痛がこぞって移転してきたみたいでした。五寸釘でベッドに打ちつけられているかのよう、オージーザスあまりの痛みにナースコールしました。

 

麻酔がきれたのと同時に痛み止めもきれたのかと思いきや、点滴で鎮痛剤は入っているとのこと。我慢してもらうしかないと告げられ、なんですってオーマイニャ、腰の痛みには慣れていたけどお股の痛みにはまだウブすぎて耐えられないです。

 

痛いよぅ、股がマタがミギマタがメッタマッタ痛い、マタイタイ〜逆から読んだらイタイタマ〜。ようやく回診の時刻になって主治医(執刀医)がご来診、ちょっと右足上げてみてもらえますか?って無理です上げられません。じゃあ左足はどうですか?って上がりますヒダリは。左足も痛いっちゃ痛いですけど上げることはできます。

 

「これは右足が動かなくなってるね、、、実はねぇ紀猫さん、右側のボルト1本、角度が難しかったんですよ。やっぱり角度が違いましたね、もう1回やり直しましょう。今度はすぐですから、ボルト1本1時間ですから、じゃ手術室の予約入れときます。」あ、はい(• ▽ •;)よろしくお願いします。ドクターにはすぐの1時間でも紀猫は手術前24時間の絶食からやり直しなんですニャージーザス。

 

というわけで予定外2回目の再手術が決まったところで緊急事態発生!近隣で集団殺傷事件が起こってK大学病院が負傷者の緊急搬送先になりました。フロアが突如として慌ただしくなり、事態の緊迫性がただベッドに横になっているだけの紀猫にもひしひしと伝わってきました。その夜の病棟フロアはただならぬ雰囲気で絶えずうめき声や痛みを訴える声が聞こえてきました。

 

翌朝、看護師さんから告げられたのは再手術の延期でした。「手術室スケジュールが押しているんです、(事件で)緊急手術が入って。紀猫さんの再手術は今のところ未定で、いつになるかわからないんですけど、とにかく待っててください。」あ、はい。絶食2日目でもう腹ぺこニャージーザス。意識がクリアで空腹なのはかくもヒモジイものなのか。

 

結局12時間遅れで2回目の手術を受けて再び麻酔から目覚めると右股の痛みはほぼ消えていました。アチキは腹ペコにゃんで1日半も再手術を待った甲斐がありんしたニャッホー!と窓から顔を出して手を振りたい衝動にかられるなんてブブー🙅。この時K大学病院がテレビ中継で全国生放送されていたのでした。事件により被害に遭われた方のご回復と、お亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

さて8月に入ってベッド上で少しずつ身体を起こす練習が始まりました。退院は1週間後の予定で、退院時にオーダーメイドのコルセットを着用して帰宅できるようにとウエストの型取りをすることになりました。ラップを巻いた腰周りに石膏に浸した包帯をぐるぐる巻いて固めて型を作ります。要するに腰にギプス状態、もちろんベッドに横になったままでは作業できないので身体を起こして立っていなければなりません。

 

石膏が固まるまで身体を起こし続けているのは苦行でした。壁につかまり立ちが5分で限界になると腕力で身体を支えてさらに10分、なんとか型取りが終わると同時に天を仰ぎました。ヒィー、たったの15分で8割失神。

 

こんな調子で予定通り退院できるんかいニャ?退院したらまたすぐに旅に出かける目論見もあって、自主的に病室内リハビリを開始しました。先ずはベッドから降りてみよう!元気ならヒョイとまたげるベッドの柵を倒すのに一苦労して2割失神。

 

気を取りなおして壁づたいに歩いてみよう!歩く以前に立つだけで身体のバランスがとれなくてフラフラの4割失神。次は目標3歩!ニャン、ドゥ、猫にまぐろトロニャーで6割失神。意識がクリアで身体コントロール不能なのはかくもナサケナイものなのか。

 

「何やってるんですかー紀猫さん!!」し、しまった看護師さんにコソ練がバレてしまった、、、「先生に歩行許可もらわないと、ちょっと待っててください。」あ、はーい(^^)/尻尾ふりふり待ってまーす。

 

まだかな、まだかな〜♪歩行〜の、許可は〜まだかな〜♪無、謀な、オバニャン♪(学研のオバサンをご存知ですか?)

 

めでたく許可がおりて病室に歩行器が運ばれてきました。ニャッホイ歩行器、猫に歩行器テッテレー!これは楽々スイスイ歩けるのニャ、病室内は狭くて練習にならないからフロアで公開練習することにしました。

 

自力歩行だと3歩で6割失神だったのが、歩行器の威力たるや廊下の端から端まで歩いて1割失神レベル、これはイケるんでニャイ?公式のリハビリ開始をお願いしました。

 

すぐに院内リハビリに通い始めました。1回30分のメニューをこなすのに初日は休み休み1時間近くかかって口惜涙、歩行だけでなく階段昇降ができなければ退院はできないと知ってリハビリ後には階段でコソ練しました。

 

3日を要してようやく杖をつきながらの歩行と手すりを握りながらの階段昇降ができるようになりました。オーダーメイドのコルセットも届いて退院の許可もおり、約2週間ぶりに帰宅することになりました。

 

㊗退院!!病院の建物を出ると真夏の熱風が通り過ぎていきました。いつものようには歩けない身には暑すぎる気候、それだけでなく病院を一歩出たところから一般道路は路面に凹凸があって真っ直ぐに歩くことができませんでした。点字ブロックさえもまたぐことができません。今までなんとか歩けていたのは病院内で完全フラットだったからでした。

 

病院前のロータリーからバスに乗るまでに早くも汗タラッタラ、自宅まで最寄りのバス停留所から歩く途中で太腿が痺れはじめ、最後は足を引きずりながら自宅玄関に到着しました。ウーニャ🤔どのタイミングでタクシーを呼べばよかったのかニャ?「腰痛が我慢限界に達して尿もれ猫になって嘆くより手術しよう」と決意した2016年2月から半年、かの忌々しい失禁日よりもはるかに過酷な自宅への帰還でした。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

手術直前の旅行は可能だったのに、手術直後の旅行は歩行困難で泣く泣くあきらめました😿この悲しみがいつかの喜びをきっと増大させるはずやんね?

腰痛手術の直前に暮らす風に旅したい

2016年7月、3連休明けに腰の手術を受けることが決まっていました。手術が決まってからは痛みが少しだけ緩和されました。ストレス性の腰痛もあると聞いたことがあります。紀猫の腰痛はストレス云々ではなく腰椎のズレによる神経圧迫が原因でしたが、取り替えのきかない腰への絶望感がもしかすると手術で改善されるかも?の期待に変わったことで気持ちがラクになったのだと思います。

 

どんなに激痛でも日常生活で出来ないことはありませんでした。(むしろ痛みに負けない紀猫の行動力には後々振り返ると理由がありました。また次の機会に書きます。)入院直前の3連休は旅に出かけようかにゃ?よし行くにゃー、例によってマイレージ特典フライトで那覇経由福岡便を手配しました。

 

またしてもフクフクフクフク!福、岡、だ〜い♪+沖縄!!フツフツと住んでみたい欲求が押さえらない2都市なので旅のコンセプトは「暮らす風に旅する」2泊3日、民泊利用にしました。

 

我ながらナイスなアイデアにワクワクが止まらない!アホなキラキラテンションで暮らす風に滞在する宿を探しました。那覇国際通り裏のセレブマンション、福岡は百道浜エリアのバルコニーから玄界灘を望むタワーマンション、上手いこと見つけたニャ。

 

初日、那覇には午後夕方便で到着しました。在住者の設定ならば何しましょ?フラフラと国際通りを歩いているとやっぱり観光客と化していました。ウーニャ🤔コンビニで沖縄っぽいドリンクとスナックを買ってセレブマンションに戻って何がしたいんだろう?よくわからないまま過ぎゆく那覇の夜。

 

翌朝2日目、空路✈で福岡へ。お昼にはタワーマンション高層階バルコニーから玄界灘の海を眺めていました。ウーニャ🤔福岡で1日生活体験??キラキラ企画だったわりに実際に来てみると特別キラキラな出来事が起こるわけでもなく何しよう?とりあえずスーパーに買い物でも行くかにゃー。

 

普段の生活が仕事中心であることを思い知りました。休日に家ですることは睡眠不足の解消と目的のないエンドレスだらだら、猫とイチャイチャ、なんとなく迷走した1日を終える、だいたい以上。

 

そんな体たらくを福岡までやって来てわざわざ再現する必要はないでしょう。こうなると自宅にはない玄界灘の景色を楽しむのが唯一キラキラ行為なのかも、ただひたすらにボワーッと海を眺めていました。海は広い〜な♪大き〜いな〜♪何か足りな〜い♪猫が〜いない〜♪

 

そうニャ!福岡に猫の島があるって聞いたことあるニャ!!即ググるニャ!イエス!答えはYES!相島(あいのしま)行くニャ!!

 

最終日3日目、朝イチで西鉄電車とフェリーで相島へ。ニャーフー😻紀猫大好きガチャ猫ウジャウジャ天国😻よ〜うこそ〜相島へ〜♪ガチャ〜猫〜パラ〜ダ〜イス♪ローラースケートはいて歌って踊りたくなる「パラダイス相島」なのでした。

 

紀猫デリにご来店の皆様、恐れ入ります。皆様には「  相島 猫  」を画像検索してお楽しみいただければと存じます。ニャーフー😻ご覧になられました?にゃんともガチャ猫パラダイスでしょ?最高ニャ〜😻猫の島をお散歩周遊してから夜便で空路✈羽田へ。

 

慌ただしく帰宅翌日、予定通りK大学病院に入院しました。いよいよ腰の手術、、、どうなることやら。

 

【紀猫デリNORINECOまとめ】

「腰痛手術の直前に暮らす風に旅したい」ならば、病気・ケガの無いよう行動せねばニャりませヌコ。ノーヌコ、ノーライフ😻